崔龍洙(チェ・ヨンス)さんは激しい 性情といわれるため誤解されがちですが、本当に良い性格の持ち主です。性格は親分肌ですね。
先日仕事絡みでお会いした時も、私より年下なのでちゃんと特命社長を立ててくれた対応や
言葉遣いをしてくれました。
現在はFCソウルのトップチームのコーチをしていますが、1998年の熱い日韓戦、
熱い秋田選手とのマッチアップ、加茂監督を更迭に追い込んだ国立での日韓戦での
ヘディングアシストは、今でも頭にこびりついています。
ジェフ在籍の時にチームが0-2で、残り時間少なくもう負けを覚悟した時
チェ・ヨンスが3点入れてひっくり返しジェフが勝った試合もありましたね。
崔龍洙(チェ・ヨンス)さんは、身体能力とテクニックを兼ね備え、ゴールへ向う強い闘争心を持ったストライカー。
打点の高いヘディングを武器とすしドリブル突破等の個の能力で局面を打開よりも、
ペナルティエリア内で決定的な仕事をする事を得意としている。
崔龍洙(チェ・ヨンス)さんの一番の思い出は1997年11月1日
熱い時代の韓国代表のセンターフォワード時代ですね。
特命社長もソウルに日本代表対韓国代表を見に行きましたよ。
ソウルオリンピックスタジアムに、現湘南ベルマーレコーチの
ガロッチーニョのお父さんとお母さんお父さんの教え子さんと
と弟さんと嫁と忘れもしない1997年11月1日 ソウル・チャムシルオリンピックスタジアム
無理して新婚旅行の代わりといいまして、会社に休みもらって行きました。
Road to FRANCE PART1 【ワールドカップ・アジア最終予選篇】
韓国対日本
1997年11月1日 ソウル・チャムシルオリンピックスタジアム
山本アナウンサーの言葉
フランスW杯 アジア最終予選 自力での出場がない中、宿敵韓国のホームで・・
『日本代表 vs 韓国代表』 (1997年11月1日)
ソウルの街は 秋の静けさの中です。ただチャムシルのスタジアムの空にだけ、7万人の大歓声が波打ちながら吸い込まれていきます。ワールドカップアジア最終予選、韓国はいま日本を待ち受けています。日本は引き分けという長いトンネルに入ったまま走り続けています。しかし、このトンネルには必ず明るい出口があると信じて戦わなければなりません。いつもの柔らかいサッカーで、激しく戦ってくれるはずです。
真っ赤なスタジアムの中に青い部分がある。日本から渡ったわれわれ8000人といわれる応援団だ。ワールドカップ出場が決まった韓国に対し、日本は負ければあとがない戦い。
韓国は実はチームの大将ホン・ミョンボがイエローの累積で出場停止でした。
そして欠場が噂されたエースのチェ・ヨンスは出場しました。
ベストメンバーで臨む韓国から温情は全く期待できない。
日本が攻める攻める。名波のサイドからオーバーラップした相馬にパスが渡り、名波はパスアンドゴー。センタリングをニアにいた呂比須がディフェンダーとゴールキーパーをひきつけてスルーして再び名波へ。名波がインサイドで確実ににゴール右に流し込む。ゴール!
さらに、中田のスローインをカズが中田に戻し、相馬へ。相馬がうまいトラップで1人かわし、倒れながら左足で正確にニアポストの呂比須の足元へ。呂比須が絵に描いたようなきれいなゴール。
2-0
勝った! 勝った!
チェヨンスさんについて
国際Aマッチ47試合出場25得点(当時)の現役韓国代表FWとして2001年にジェフユナイテッド市原に加入。入団初年度に21得点をたたき出すなど、2年連続でチーム最多得点を挙げエースとして君臨。左サイドの村井慎二とのホットラインは市原の名物ともなっていた。
2004年には当時J2だった京都パープルサンガに移籍する。2005年にはジュビロ磐田に移籍したが、度重なるけがのためレギュラーではなかった。2006年に韓国に戻り、KリーグFCソウルで選手兼任コーチとしてプレーした。2006年8月5日のFC東京との親善試合を最後に現役を引退。引退後、FCソウルコーチに就任。
エピソード
a.. 若い頃は闘争心を剥き出しにしたプレーヤーで、ユース時代の日本戦では試合後に日本ベンチにボールを蹴りこんだことがある。日本のGKだった川口能活はこの行為に激怒したが、崔龍洙はその後謝罪、磐田では仲のよいプレーヤーであった。
b.. 1997年、韓国代表としてフランスW杯アジア予選出場時、試合前の国歌吹奏(または斉唱)を他のチームメイトは胸に手を置きながら聴いていたのに対し、崔はただ1人、敬礼しながら聴いていた(当時兵役中の身で、韓国国軍のチーム「尚武」に所属していた)。
c.. Jリーグにやってきた頃には既に周りをまとめる年長者としての自覚が備わっており、市原時代は若手選手をまとめることを意識してパーティーを開いたりしていたことを同僚達が証言している。磐田では怪我のためにほとんど貢献できなかったものの、カレン・ロバートが、自分はどうプレーしたほうがよいのかと質問した際に「若い選手は自分をアピールすべき。ベテランはそれに合わせるから」とアドバイスし、カレンのブレイクに一役買った。
d.. チェは日本サッカーに関して「Jリーグは前線よりも中盤に重点を置いているため、よいFWが育ちにくい環境にある。鈴木(隆行)も玉田も柳沢も自分から点を取るタイプではないだろう。本物のストライカーと呼べるのは高原とゴン中山さんくらいだろう」「特にゴン中山さんのあのプロ魂には感服する、だから40を過ぎてもまだサッカーを続けていられるんだ。若いカレンや前田はゴン中山さんを見習えばもっと成長する」とコメントしている。
e.. そのいかつい風貌とは裏腹に、好物がショートケーキだったり、市原のロッカールームで安全地帯の『ワインレッドの心』をご機嫌で熱唱していた(日本語もかなり流暢だったという)など親しみやすい人柄を覗かせるエピソードがある。
f.. 全盛期の頃、セリエAのACペルージャへの移籍が報道された。チェを推薦したのは当時ペルージャに所属していた中田英寿である。
所属クラブ
a.. (年度不明) - 釜山東来高校
b.. (年度不明) - 延世大学校
c.. 1994年-1996年 安養LGチータース
d.. 1997年-1998年 尚武
e.. 1999年-2000年 安養LGチータース
f.. 2001年-2003年 ジェフユナイテッド市原
g.. 2004年 - 京都パープルサンガ(期限付き移籍)
h.. 2005年 - ジュビロ磐田
i.. 2006年-8月 - FCソウルプレイングマネージャー
a.. 2006年8月現役引退
現役
a.. 1994年 - プロデビュー(Kリーグ)
b.. 1995年2月19日 - A代表初出場 - 中国代表戦
引退後
a.. 2006年 - FCソウル コーチ
WIKI抜粋